最近のペット事情は猫ちゃんブームからも話題が盛り上がり、リモートワークの室内環境に於けるその世話は、仕事の合間も縫い各個人の手に届く範囲でと言う世の中の風潮に寄って、人間と動物の精神距離と言う昔ながらのそれから更に密着した様子が感じさせられます。

転勤の多い今の世代は昔の様に大型犬などを庭に繋いで飼うと言う地元定着の所帯数が減り、マンションなどの狭い集合住宅に小型犬や猫などの小動物が家族と入り乱れて暮らす生活形態が人気一位となりました。

その影響かペットショップでもケージに入れられた小型種の犬や猫が並んで顔を覗かせます。

大きな地方の農家などでもその可愛らしさからペットは小型のものの多頭飼いが流行っている様に見受けられます。

この小型のペット達は室内に容易に適応し、人間と寝食を共にする事を大変好みます。

本来動物は種族の保護本能からかばい合うものつまり暖かく体を摺り寄せるものと一緒に生活するのを喜ぶ事が多いのです。

人間が食事を始めるとテーブルの空いた椅子に乗っておねだりしてしまう、人間が就寝しようとすれば同じ布団に潜り込んでくるペット達は、動物ながらに近づける顔が人間に密な表情反応を取り、「お腹が空いたのかい?」お前も眠たくなったのかいと人間同士以上に密接した会話で人間と動物間に精神の繋がりを作り上げます。

こう言う事がとても可愛い何時までも手放す事の出来ない人間とペットとの精神的な関係となり得ます。

ペットは朝の玄関で人間を送り出し、夕の玄関で人間を迎える顔となります。もしもこの顔が突然居なくなったら、とてもかわいい顔が居なくなる寂しさはこのペットが居る間は考えられません。

ところが人間は平均80年以上の生活寿命を誇ってもこのペット達は犬と猫の場合14~15年、長くとも20年程で生活寿命を終えます。

人間が長い生活寿命の上で先にペットの生活寿命の終わりを迎えてしまうのは悲しく寂しい事ですが避ける事は出来ません。

何時も一緒に居た顔が自分の目の前から無くなったら?

人間の側はその温もりさえ覚えているのに消えてしまうのがその相手の死です。

直ぐに次のペットをと言う訳に行かない場合の人間感情は、人間同士の死の分かれでも喪が明ける迄の行動の自粛と言う伝統的な観念があり今迄の愛情に軽薄な行動を被せる事は何となく気が引けるものです。

居なくなった可愛い顔は暫くその写真の上を人間の思い入れが這うものです。

以前飼っていた愛犬の写真を会社のデスクに置いていた女性事務員が傍に居た時がありますが、緊張も多い且つ乾いた職場環境では気を抜いた時に気分だけを語らう対象が欲しい時もあります。

偶に寄る写真店の老猫の姿が見えないので店主に猫どうしたんですかと尋ねると、「猫さん?ああ、あそこに居らしゃるよ。」と、棚の上の在りし日の写真を差し示しました。

死んでしまった様ですが自分の家にも猫がいるので、居なくなってしまうと何か風景的に寂しいものです。

店の棚の上の写真に病気で痩せこけていてもそれは長く可愛がってもらった存在だったのだなと思えます。

感情を持ち温かみのあった動物は愛玩の縫いぐるみの様には扱われない事の方が多いと思います。

人形供養のお焚き上げになった子供の縫いぐるみは然程執着した記憶の中には存在出来ないと思います。

縫いぐるみと違い動物の側からの意志の存在を、その感情の長年の疎通から空想してしまうのが人間の側です。

長年の人間の生活の中に生きていたと言う生命の意思の存在伝説も信じたい様な生命の謎に迫る学説さえあります。

何故動物は保護を求める以上に人間に様々な精神作用を与えるのか、人間と動物双方の心理に色々と有るのですが、その事は人間は喪が明けるまでの間から長ければ人間の記憶から遠ざかって行く間まで、その存在した意識を人間の側で汲み取ってあげたいと言う思いから発する哀れみの精神として仏壇の形にしても落ち着ける事が供養と言う一つの目的です。